考えてみたら、会社で肩身がせまかったのって、「ロボット人間思考」だったからなのかもしれない。
本当に言われたことしかやらなくて、
自分からアイディアを出すことはしなくて、
従ったり、合わせてばかりの、
面白味のない、視野の狭い人間だった。
社畜でも、考えたり、学んだり、変えたり、することはできたのに、
「同じ動きをしないと死ぬ」、と思い込んでるロボットだった。
もっと自由に考えて、変えることを楽しんでも、
良かったのかもしれない。
社畜が苦しかったのは、「ロボットのようじゃないと死ぬ」と思い込んでたせいだった。
自分で考えなきゃいけない状況になって、
初めて、「ロボット人間として生きること」に、
こだわってた自分が見えた。
「ロボット人間になりなさい」なんて、誰も言ってないのに、「ロボット人間じゃないと死ぬ」と思い込んで、考えることを、ずっと放棄してた。
「考えて自分らしく行動すると、死ぬ」と思ってた。
昔、田舎に引っ越してきた時に、同じ行動をしないとバカにされたり嫌がられたりしたので、
その時からロボットのように生き始めた。
同じ行動、同じものが好きなフリをして、自分らしさを破棄した。
そうしないと仲間はずれにされて、ここでは生きられないと思った。
「考えて、自分らしくすると死ぬ」
と、信じていて、それを外でやることは、
犯罪だと思ってた。
周りの人がどんなに、説得しても、それは
絶対にくつがえせない価値観だった。
子供の頃身につけたものは、なかなかくつがえせない。
でも、フリーランスになろうとしてる今、
分かったのは、全く逆で、
「考えないと死ぬ」
ということだ。
皮膚の一部みたいに同化していた嫌な価値観が、
初めて、取れそうになってる。
客観的に見れた今、もしかしたら、この嫌なトラウマが捨てられるかもしれない。
そしたらもっと、人の目が気にならなくなる。
もっと自分らしく生きられる。
トラウマを手放すイメトレをして、
このトラウマとお別れしよう。
長年、自分と一体化していたこのトラウマを客観的に見れたなんて、奇跡だ。
昨日、もんもんとしてたから、すごいことなんて起きないと思ってたけど、
やっぱり、すごいことが起きた。