赤毛のアンが物語を作って、友達に発表するサークルをやっているのを見て、
自分も、時間があればずーっと妄想するのになーと思った。
そういえば小学生の頃はずっと物語を考えてた。
色んなことを知った今なら、もっと面白い妄想ができるのに時間が足りない。
でも時間もめちゃくちゃあるんじゃなくて、
少しあるくらいの方が何か書けそうな気がする。
いや下手したら、書きたいと思ったら、睡眠時間削ってでも書いてしまうのかもしれない。
物語って、書いてるんじゃなくて書かされてるのかもしれない。
それは音楽にしてもそうだ。
ハイヤーセルフがしゃべる時、頭の中が言葉でいっぱいになる。
気がついたら、食べた覚えのないパンがギュウギュウに口の中に入ってるような感じになる。
物語を書いてる人って、
いや創作活動してる人って、
ハイヤーセルフの声を描いてるのかもしれない。
鬼滅の刃に、自分の意思で行動できない「カナヲ」というキャラがいる。
「カナヲは、心の声が小さいのかな」
と言われていた。
彼女はひどい目に合いすぎて、心をねじ伏せてきたせいで、心の声がわからなくなっているんだと思う。
人に合わせすぎてる現代人も、心の声がわからなくなっていると思う。
カナヲを見るたびに、私は、なぜか泣きそうになる。
解放されたい奥底の自分が、「解放してくれ」と訴えてるのかもしれない。
そいつこそ、ハイヤーセルフでもあると思う。