また、この絵の話。
たくさんの人が、「これはツボの絵だ」と言うとする。
けれど自分は、「これは人の横顔だ」と思っている。
たくさんの人が「ツボだ」と言っているので、
「そうそう、これはツボの絵だよね」と、言ってしまうのが私だ。
この色を見て、
「灰色だ」と言う人もいれば、
「青だ」と言う人もいる。
もしかしたら、まったく別の色だと思う人もいる。
どう感じるのも正解なんだ。
自分が感じたものだけが真実なんだから。
たくさんの人や、影響の強い人が「灰色だ」と言うからって、「灰色」が真実ではない。
「あなたの感じた色」が、あなたの真実なんだ。
雪の日でも半そでを着てすごしている人がいる。
そういう人を見て、「寒くないの?」って怪しんだりすることがある。
でも、「雪の日でも、暑いと感じている」、それがその人にとっての、真実なんだ。
視覚、聴覚、触覚、痛覚、味覚、暑さ寒さ、霊的な感覚、信じているもの、性別の感覚、経験、みんな違っているから、
ひとりひとりにとっての真実は、違っている。
敗戦国の日本は、「同じような感覚を持つのが普通なんだ」という、量産型ロボットを作るように教育をされてきた。
感覚が違うことが、犯罪のように扱われてきた。
たくさんの人が言うから、「これはツボだ」とか、
影響力の強い人が言うから、「これは灰色だ」って言うのが、正義だと信じさせられてきた。
そうやって教育されてきたから、「他人が言うことは、真実だ」と思ってしまう傾向がある。
他人から、「ブスだ」「変だ」とか言われると、「やっぱりブスなんだ、変なんだ」って
思ってしまうことがある。
でも、それって、
「人の横顔の絵」にしか見えないのに、「ツボの絵だよね」って嘘をついたり、
「青い色」にしか見えないのに、「灰色だ」って、自分に嘘をついたりしてることと同じだ。
いつまで自分に嘘をつくの?
周りにコントロールをされようとするんじゃなくて、逆に、
「私の感覚こそが正しい」と、
コントロールしようとするくらいでいいのかもしれない。
風に吹かれて流されるんじゃなくて、
自分こそが台風にならなくちゃいけないと思った。