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スピリチュアル系ブログ

ルパソ3世

善も悪もないという話。

 

 

泥棒の子供として生まれた主人公ルパソがいるとする。

ルパソは、親から泥棒をすることを教育されているために、それが当然正しいことだと

信じている。

むしろそれが生きるために必要なことなので、泥棒をしなければしかられるという

家庭に育っているとする。

そうした場合に、「ルパソは、泥棒なんかして悪い奴だな~~~!!!」と思うだろうか?

 

 

ルパソの目線からすると、むしろ泥棒しないことが悪いことだと思っているかもしれない。

つまり、何が悪で、何が善ということはその人の中にしかない。

その人にとって「悪なのか、善なのか」ということしかない。

 

 

この場合、ルパソはどんなに他の人から言われても、

「泥棒=悪」という考え方にならないかもしれない。

彼の中では、「泥棒=働くこと」 と思っているかもしれない。

 

もちろん法律に反することだけど、

ルパソの中では、「泥棒=働くこと」という考えは、変えられないかもしれない。

 

そう、すべての人から見て、「絶対的な正義も、絶対的な悪」も存在しない。

 

 

 

「泥棒=仕事」だと思っているルパソと、

「泥棒=犯罪」だと思っている私たち。

両者の価値観は分かり合えないだろう。

 

 

 

それで、昨日の話に戻るけど、

レプティリアンは悪で、ドラコニアンは善だ」という発言や、

「悪い霊とつながらないようにする」という発言。

 

 

→ 「これは善で、これは悪」っていう考え方は、

自分たちの理解できない価値観の者たち=悪

 

 と言っているのと、同じような気がした。

 

 

キリスト教 VS イスラム

も同じ。

 

 

この世界って、

「違う価値観を持つ人=悪い」という風になりがち。

 

 

自分たちから見たら 悪いこと   

価値観が違う相手からすると 普通のこと

ということってある。

 

 

どこかの国では、子供の頭をなでるのは侮辱だとか、

手を振るのは侮辱だとか、

日本では良いとされてることが、侮辱になって、殺されそうになることすらある。

 

 

 

「この宇宙人は悪い」とか

「この霊は悪い」と言うが、

絶対的な善悪は存在しない。

大事なのは、自分にとっては好きか嫌いか、ということなんだ。