善も悪もないという話。
泥棒の子供として生まれた主人公ルパソがいるとする。
ルパソは、親から泥棒をすることを教育されているために、それが当然正しいことだと
信じている。
むしろそれが生きるために必要なことなので、泥棒をしなければしかられるという
家庭に育っているとする。
そうした場合に、「ルパソは、泥棒なんかして悪い奴だな~~~!!!」と思うだろうか?
ルパソの目線からすると、むしろ泥棒しないことが悪いことだと思っているかもしれない。
つまり、何が悪で、何が善ということは、その人の中にしかない。
その人にとって、「悪なのか、善なのか」ということしかない。
この場合、ルパソはどんなに他の人から言われても、
「泥棒=悪」という考え方にならないかもしれない。
彼の中では、「泥棒=働くこと」 と思っているかもしれない。
もちろん法律に反することだけど、
ルパソの中では、「泥棒=働くこと」という考えは、変えられないかもしれない。
そう、すべての人から見て、「絶対的な正義も、絶対的な悪」も存在しない。
「泥棒=仕事」だと思っているルパソと、
「泥棒=犯罪」だと思っている私たち。
両者の価値観は分かり合えないだろう。
それで、昨日の話に戻るけど、
「レプティリアンは悪で、ドラコニアンは善だ」という発言や、
「悪い霊とつながらないようにする」という発言。
→ 「これは善で、これは悪」っていう考え方は、
自分たちの理解できない価値観の者たち=悪
と言っているのと、同じような気がした。
も同じ。
この世界って、
「違う価値観を持つ人=悪い」という風になりがち。
自分たちから見たら →悪いこと
価値観が違う相手からすると →普通のこと
ということってある。
どこかの国では、子供の頭をなでるのは侮辱だとか、
手を振るのは侮辱だとか、
日本では良いとされてることが、侮辱になって、殺されそうになることすらある。
「この宇宙人は悪い」とか
「この霊は悪い」と言うが、
絶対的な善悪は存在しない。
大事なのは、自分にとっては好きか嫌いか、ということなんだ。