もっちーの「3日以内に奇跡が起きる!」
という動画を見終わってコメントらんを見ていたら、
なぜか涙が出てきた。
もっちーが乗っていた軽トラを作った人からのコメントがあった。
それはもう、すごい奇跡だ。
軽トラを作った人が偶然この動画を見ているなんて。
でも、考えてみたら、この身の回りにあるものすべて、
すごい奇跡によって作られていたんだ。
奇跡=すべてが奇跡だと認めることだ。
と、思った。
そしたら、突然涙が出てきた。
理由は分からないけど、それが真実だからだと思った。
今触っているパソコンも、座っている椅子も、足で踏んでる床も、
飲んでるコーヒーも、使ってるお皿も、たくさんの人が関わって作ってくれたもの。
たくさんの人が作ったものが、ここに並んでいる。
当たり前に思ってたけど、、当たり前じゃない。
たくさんの過程を経て、ここに並んでいる。
ここに来るまでも、簡単なことじゃなかった。
材料を切って、組み合わせて、並べて、検査して。
たくさんのことを乗り越えて、工場からお店に運ばれて。
勝手に材料が集合して、出来上がったわけじゃない。
たくさんの人の手と、時間と工程を乗り越えて、ここにいる。
生活が良くなるように、って作った誰かの思いと、
一緒に暮らしているんだ。
それを当たり前にしてた。
いつも奇跡を目にしているのに、当たり前にしていた。
いつも愛に囲まれているのに。
切りやすいように切り込み口がついた割り箸の袋。
ハサミなんかなくても開けれるように、という優しさがある。
おせっかいな母親みたいな感じがする。
いろんなところで、優しさをもらっている。
奇跡は、いつも起こっているのに、素通りしていた。
このことに気がつけたことも、奇跡だと思った。
自分ばっかり苦労してると思ってたけど、
奇跡ばかり起きていることを無視していた。