若い頃、パートナーがいれば幸せだと思ってた。
相手が、いたらいたで楽しいけど、
特定の相手に固執するのは、執着なのかなーと今になって思う。
相手がいないことへの言い訳みたいになってそうだけど。
「○○が あれば、幸せ」
ってのは、自分を縛り付けてる呪いだ。
お金があれば幸せ
結婚してれば幸せ
子供がいれば幸せ
家を持ってれば幸せ
車があれば幸せ
みんな、知らないうちに、
「あれがなければ、幸せじゃない」と、
自分に呪いをかけてる。
何にもなくても、ありのままでじゅうぶん恵まれてて、幸せなのに、ないものばかり探している。
今のこの瞬間に、暑くも寒くもなく、
飢えてもなく、痛くもなく、苦しくもなく、恐怖にまみれてもなく、
自由を奪われてもいないなら、
どれか欠けてても、どれかひとつでも満たされてるなら、幸せだ。
職場に、すごく美人で、仕事でもいいポジションについてるのに、人をうらやんで、悪口ばかり言ってる人がいる。
どんなに恵まれてても、「恵まれてる」ことに意識を向けなければ、不幸なまま。
幸せの正体は、「どれだけ恵まれるか」じゃなくて、
「恵まれてることに意識できるか」
なんだと思う。
1000万円持ってても、
「私は、貧乏だ」
って言う人もいるし、
「私は、金持ちだ」
って言う人もいる。
すでに自分が「持ってる」ことに気づけることが、
幸せをつかむ決め手。
「今日、嫌なことがあった」とか、
「未来が不安だ」とかは、
どーでも良くて、
今、この瞬間、平穏と安心に満たされてるか?
ってことが、幸せの条件だ。
瞑想をすると心が安定する、
とかよく言うけど、
ゴチャゴチャした考えを捨てて、
今この瞬間に意識するからなんだろう。
説教をたれるジーさんみたいに、そんなことを時々、考える。