実家に行って猫を可愛がり、ほめまくっていた。
「可愛いね、賢いね、美人だね」
おいっこに会った時も、ずっとほめ続けている。
猫や人のことは、こんなにほめることができるのに、どうして自分のことは、ほめることができないんだろう?
気がついたら、「私が悪いんだ」と、口ぐせのように思っている。
これは昔、自分だけが差別されていて、自分の話だけが聞いてもらえなくて、
自分だけは、何を言っても、「偉そうに!!」と言われたことに由来している。
「私は間違っている。存在してはいけない」という思い込みは、そこから始まっている。
親の精神年齢が幼かったから、しょうがなかったんだけどね。
昔、思い込んだことが、なかなか抜けない。
逆に、「私は正しい」という洗脳をはじめることにした。
ただ闇雲に、「私は正しい」と唱えながら歩くのは面白くないので、
「私は正しい」と唱えることにした。
引用:https://www.youtube.com/watch?v=fd0RvgRY33I&t=97s
0:16秒のアイキャッチ 「テーテレー、テーテテテ、テレーレテレレレー、テテレッテレ♪」
を頭の中で流したあとで、「私は正しい」
という言葉を心の中で唱えた。
「ドラゴンボールz」というタイトルを読み上げる感じで。
それをウォーキングの間ずーーーーっとやっていた。
「私は正しい」以外にも、「可愛い」とか「愛されている」とか「賢い」とか
「金持ちになっていく」とか、ほめるだけじゃなくて、願いも。
「猫が好き」とか「オタク気質」とか、ほめてるというより特徴という言葉も唱えてみた。
考えてみたら、何かを好きになれるって長所だと思うんだ。
何にも興味がわかないような人間もいるんだし。
「ケーキが好き」も、「アニメが好き」も長所だったんだと思った。
ドラゴンボールじゃなくても、好きなアニメのアイキャッチとか、
好きなcmとかで洗脳するといいのかもしれない。
自分の場合はドラゴンボールが気持ちが上がるのでドラゴンボールで洗脳してる。
親から、「私は男が嫌いだったの」っていう話をされた。
父親や男兄弟からいじめられたりいやな目にあっていたから男が嫌いだったって言われた。
なぜか昔から、私は男っぽいと男認定されていて、そのせいでいじめられていたんだ、って思った。
親が酷いトラウマを持ってる上に、理論的でない人間だと、感情だけでいじめられる。
なんで何もしていない子供の私が、父親や男兄弟にやられたことの仕返しの道具にされなくちゃならなかったんだろう?
そう思うものの、今は助けてくれているんだし、これで帳消しと思って許すことにしよう。
過去のことは、もう流れてしまった排泄物なんだ、って誰かも言ってた。
もう出て行ったものなんだから、見つめる必要も、探す必要もないんだ。
私はいつまでトイレの中をのぞいているんだろう。